江戸と富士山

江戸で遊ぶ
冨嶽三十六景 凱風快晴

天下を統一し江戸に幕府を開いたのは駿河の徳川家康、奇跡の山「富士山」はまさに天下人そのもの、日本一高く、美しい裾野が広がる単独峰で唯一無二のまさに奇跡の山であり、多くの武将から崇敬されました。
美しい富士山は時に噴火をし、大きな災厄をもたらしました。山を沈めるために木花咲耶姫(浅間大神あさまのおおかみ=水を司る火難の神)が祀られました。
富士山に登ることは神に近づき、その霊力を得る、その信仰が「富士講」として多くの登山者で賑わうようになったそうです。現代のように往来が自由でない江戸時代、通行手形がないと関所は通行できませんが、信仰のためなら証文、手形は簡単に取得できたらしいですね。
「お伊勢参り」「富士講」は「観光旅行」のはじまりだとされています。「観光」は本来、光を見るという意味ですから、信仰という名目のレクリエーションだったに違いありません。
また、「伊勢講」「大山講」「富士講」などの「講」は信仰のために集まった町内の人々が積立をして、順番に旅行をするコミュニティで、「御札」を「お土産」に持ち帰る風習となりました。
また、お参りのあとには「精進落とし」という名目で門前にある花街などで遊んで帰るが定番でした。(因みに富士講は女人禁制でした!本当は信仰や修行の妨げになり、「血」が穢れるという考えからですね。)
神社やお寺の近くには遊郭や茶屋街があるのでそんな形跡を訪ねるのもオツかもしれませんね。

そんな富士山好きの家康が江戸に都市を作ったからには、意識的に都市計画され、絵師によって書かれた江戸の街並みには多くの富士山が描かれています。
北斎や広重を始めとする絵師も富士山をモチフにした絵をたくさん書いています。特に「富嶽三十六景」の完成度は素晴らしいです。

因みに現在、東京にある「富士見坂」から富士山が見えるのは1ヶ所だと言われています。

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