古い話で恐縮ですが、私が学生の頃、1982年昭和57年ごろ、先輩に頼まれて「全国街並みゼミ」の発表会のお手伝いをさせていただいた事を懐かしく思い出します。私の役割はスライド写真と音楽とナレーションを同期させるための録音でした。いまならパワーポイントなどで一人で簡単にできてしまうのですが、当時はスライドに合わせてナレーションを録音したり、音楽をミキシングするというアナログな時代でした。
「全国街並みゼミ」とは全国の街並みを保存しようとする地域の方々が集まり開かれたゼミナールです。現在では景観法などの法の整備も行われ、街並みが観光資源になることが当たり前で、街並みを保全、復元して、多くの観光客で賑わっていますが、当時は街並みの保存という価値観がなく、古き良き街並み、景観は荒廃し、時には取り壊され、鉄筋の堅牢な建物が建てられていました。
私の担当したのは東京の街並み、江戸時代に名付けられた「坂」や「道」、東京で生まれ育った私も全く知らない世界でした。現在も残る地名には歴史が息づいています。「幽霊坂」や「狸穴」、江戸の道は西は富士山に向かって作られ、「富士見」という名の地名からは富士山が道の真ん中に見えるように計画されていたようです。
今まで、街並みや江戸の地名など気にもかけていなかったのですが、このゼミから地名や土地にまつわる歴史に興味を覚えるようになりました。
私の現在住む、千代田区は区内殆どの建物は戦後に建てられ、町名も統合されてしまいましたが、街歩きをしていると、江戸の面影がチラリと垣間みえるときがあります。
JRの高架橋の橋脚に書かれた旧町名だったり、かつては掘割だった痕跡、そんな妄想をしながら街歩きをしてみるのも面白いと思います。
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